phoenix-powerゼロから生まれるものはなにもないという考え方について

考える力の弱い人へ - Chikirinの日記 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20140601

1. 感情論

(1) 上の記事を読んだので、少しだけ、私の考えを紹介したいと思います。

まず、当該記事は、私とは前提となる考えが異なるので、私に対しての説得力はゼロでした。

タイトル風に言うと、「考え方が弱い自分へ」というのが正しいタイトルだったのではないかなと…。

ここで、関連する私が持つ先入観を一つだけ紹介したいと思います。

その先入観とは、「全ては行動から生まれる」です。

この先入観の反対には、「行動しない人は、何もできない人」推定が働くことになります。

(2) 例えば、私がこの前、毎日行っている日課をサボってしまった時の話をしましょう。

これは、記事を分けて説明するつもりでしたが、良い機会なので、この記事にまとめます。

したがって、多少話が長くなりますので、我慢して下さい。

私は、毎日、腕立て100回、腹筋100回、スクワット100回、ランニング5kmという運動を行っています。

しかし、この前それをサボってしまいました。不覚です。

正直に言うと、その日は、かなり忙しくて、時間がなかったのです。

ただし、この言い訳には、何の意味もありません。

なぜなら、できなかった理由というのは、誰にでも、そして、どんなことにでも存在するものだからです。

したがって、時間がなかった、疲れていた、やる気が出なかったという理由は、この問題の本質ではありません。

この問題の本質は、「私は、やらなかった」、それだけです。

できたか、できなかったかではなく、やるか、やらないか、これが多くの問題の本質です。

このようなことがついこの前あったので、次の日は、2倍のメニューをこなしました。

そして、それ以降、5日前から今日まで2倍のメニューになってしまいました。

具体的には、腕立てなど各150回、続けて腕立てなど各50回という流れで行っています。

これが、予想外にきつい…。

しかし、昔を思い出して、なんか懐かしい感じがしますので、面白いです。

といっても、長く辛い時間の中、一瞬だけ感じる楽しみというやつに過ぎませんが…。

(3) と、話がだいぶ逸れてしまいました。

話を戻します。

「行動しない人は、何もできない人」推定の話でしたね。

そもそも、行動しなければ、何かができるようにはならないんじゃないでしょうか。

私が見てきた印象で言いますと、本だけ読んでる人というのは、口だけで何もやらない人が多いです。

これは、先程も言ったように、「できない」ことと同じです。結果として。

反対に、できる人間は、本を読んでいる時間よりも、何かを作ってる時間のほうが多い印象です。

そして、この記事を書いた人は、一体、何ができるのでしょう。私には、何かができる人には見えない…。

この時点で、私の中では、上のような先入観が芽生えてしまうので、あまりよくありません。反省。

しかし、記事を読んでいる時の私の感情を最も正確に現すなら、こんな感じです。

以下、当該記事の感想になります。

2. ゼロ

(1) まず、「本当に考える力がある人は、書斎にこもってるだけで、考えることができます」という点について、私が前提とする考え方と合致しません。

したがって、初っ端から少しの疑念が生じます。この人の言ってること、自分には分からないんじゃないかっていう疑念が。

私は、基本的に「ゼロから生まれるものなど何もない」と考えています。

これは、あらゆる思考についても言えることですが、すべては、組み合わせでしかないのです。

もちろん、大きな組み合わせ、小さな組み合わせというものがあります。

しかし、どこまでミクロにしても、すべては組み合わせから出来上がっていると私は考えます。

この点、個人的には、人間がどのように生まれるかを考えただけでも、この真理にたどり着きそうなものですが、そう簡単にはいかないようですね。(今日はちょっと辛口でいきます

あらゆる無駄なものや、考えばかりを吸収して、どんどんと物が分からなくなっていくというのが、一般的な人間の成長というものかもしれません。

では、あなたは、情報を一切与えられない状態から、何かを考えることができるでしょうか。もちろん、これは生まれたばかりの状態から考えてみてください。

また、例え何かを考えられたとしても、それは、一体何を使って考えたものでしょうか。

当然、脳ということになりますよね。

では、脳というものは、ゼロですか?

思考というのは、脳の機能の組み合わせで成り立っているという現実があります。

また、脳が生存、活動していられる環境の上で成り立っているものでもあります。これは、酸素から脳が必要とするエネルギーまで様々な要素が組み合わさっています。

もっと突き詰めて考えていっても良いのですが、更に専門用語が増えてくるので、ここら辺でやめておきます。

私の基本的な考えは、「ゼロから生まれるものなど何もない」というものであり、それは、「ゼロから生まれる思考もない」ということになります。

以上の前提的な考え方を持っているため、「本当に考える力がある人は、書斎にこもってるだけで、考えることができます」と聞くと、「うーん、本当にそうだろうか」と考えてしまいます。

この時点で、私は、この人とは、導き出す結論が異なるかもしれないなという予測を出すことができます。(というか、実際に予測しています

ここで、予測が出せた時点で当該記事を読むのをやめてもいいのですが、やはり、私の予測は全くあてにならない事が多いため、最後まで読んでみることにしましょう。

(2) 読み進めると、次に、「考えてだけいて、それなりの結果がだせる人は、天才です。そういう人は元から、生まれつき、考える力が尋常じゃないんです」と来ます。

文章の論理的関連性や天才というものをどのように捉えられているのかの説明が、少しだけ希薄に感じますが、それは別にどうでもいいです。ここでは問題になりません。(問題にしても意味がないので、しません

さて、ここで、天才というキーワードが登場したので、一般的に天才と認識されている有名人を思い浮かべてみたいと思います。

私が真っ先に思い浮かべた人物は、アインシュタインです。

果たして、彼は、書斎にこもって考えているだけの人だったのでしょうか。履歴を見ると、そんな感じじゃないですね。私の印象ですが。

また、ニュートンについては、「頭の上に、リンゴが落ちてきて…」という話が有名です。(本当かどうかは分かりませんが

先程も言ったように、思考というものは、組み合わせです。

ニュートンも地面に落ちたリンゴを自分の知識と組み合わせて新たな思考を生み出した節があるようです。

そして、組み合わせというものの多くは、思考も含め、自然のものが元になっている事が多いのです。

私から言わせると、人間が一(イチ)から作り出したものなど、何もありません。(ここでは、ゼロからというべきでしょうか

更に、「考えてだけいて、それなりの結果がだせる人」と記事にはありますが、そんなものは存在しないと思います。

なぜなら、全ては表現して初めて現実になるからです。

自分の考えが正しいのかは、何度も実験してみないと、分からない。そして、実験は一発で成功することは非常に少なく、何度も行うものです。天才には、その過程も非常に重要だと言われていますし、全てのことを一発で成し遂げてきた天才を私は知りません…。

ただし、ここでいう「考える」というのは、私が認識する言葉とは多少の違いがあるかもしれません。

よって、ここでいう「考える」を思考することのみならず、表現することも含めて考えていきたいと思います。

だとしても、やっぱり、この記事を書いている人が天才でもない限り、天才の考えは、理解するのが難しいんじゃないかなと思います。

そして、自分を天才という前提で書いていないことは、本文を見れば明らかです。

よって、この人が、天才は元から、生まれつき、考える力が尋常じゃないと考えるのは、なんか違う気がします。

なぜなら、あなたは天才じゃないから。

そもそもゼロから生まれるものなどなにもないという考え方からすれば、ゼロから生まれる天才などというものは存在しません。

私は、天才の考える力については、全く分かりません。しかし、天才がどのように生み出されるのかというのは、想像できます。

私が考えるに、天才というのは、環境と積み重ね、繰り返しという要素から生み出されるものです。

例えば、子供の頃から常に、絶え間なく思考訓練を無意識のうちに繰り返していたとしたら、その人は、天才と呼ばれるようになっているかもしれません。

(3) 『世の中には、「考えてだけいる人」と「行動だけしてる人」がいます』

いません。これらはセットにして初めて意味を成すものだというのが私の考えです。天才であっても例外ではありません。天才は神じゃない…。

ただし、言いたいことを読み取る努力をすれば、「…思考率だけが高過ぎる人、行動率だけが高過ぎる人」ということになるのでしょうか。

しかし、このような場合にも、行動率が高過ぎる人のほうが成し遂げるものは大きいだろうと私は考えます。

そして、そこには、凡人、天才などという区別はないです。

すべてを天才という一言で片付けてしまうことに、私は疑問を感じます。

そして、そこには何の意味もない…。

例えば、「地球はなんで青いのか?」という質問に対して、「地球は青いものだから、青いんだよ」と言ってるのと同じレベルなのではないかと。

(4) 最後に、結論としては、『考える力の弱い人ほど、動きましょう。人と違うことをやりましょう。それが勝因です』とあります。

これについても、先ほど指摘したように、論理的関連性がよく分かりませんでした。

具体的には、凡人は、考えることと行動することをセットにした場所に分類されます。

なぜなら、天才が一方の両極端に当たるからです。そして、真ん中に凡人という位置づけです。

さらに、もし、凡人が程度の弱い「考える」、程度の弱い「行動」に分類されるとしたら、ますます訳がわからない。

「考える、行動」の組み合わせで、ゲージ以上のパワーを発揮できるのなら、ここで言う天才が天才ではなくなってしまうように思います。

ここで天才という位置づけを無理やり維持しようとするなら、考える力の弱い人は、考える力の程度を上げても別に良いではないかということになる感じがします。

3. 論理

「地球は青いものだから、青いんだよ」という理論は、私の場合、最後にしか使用してはならないものだと考えています。

つまり、どのような物事にも理由があり、原因があるという考えです。

そして、ここで言う最後というのは、突き詰めて考えていった場合の最後のことであり、具体的には、「すべてが組み合わせにより成り立っているとすれば、最初には、一体何があったの?」という問(とい)です。

ここまで来て初めて、私は、「元から存在したものがあったのだ」と答えることになります。

「なぜ元から存在したものがあるの?」と聞かれると、「それは、それ自体が元から存在するものだからだよ」と答える他ないです。今のところは。

ここで初めて、「全ては無から生まれる」という考えと、「全ては存在から生まれる」という考えが別れることになります。

私の場合、この世は存在の世界だと考えていますので、後者の考え方をします。これは、基本姿勢からそうです。