phoenix-power最近、アニメで見る未来予知とか、ビッグデータによる未来予知とかそういう話題を耳にすることが多くなったので、未来予知に対する個人的な考えを書いていきたいと思います。

未来予知というのは、それほど大したものではないというのが個人的な考えです。

なぜなら、予知した所で、それは未来の一部分でしかないということだからです。

未来の一部分だけ切り取っても、分かることはそれほど多くはありません。

例えば、あなたが友人Bが血を流して地面に倒れている未来を予知したとします。

多くの人は、このような未来を見ると、「友人Bは近いうち死ぬ」と考えてしまいます。

しかし、その場面は、もしかしたら単に頭を打って意識を失っただけなのかもしれないし、ドラマ俳優として演じているだけなのかもしれない。

ここで言いたいのは、未来を予知した所で、その解釈は非常に難しいということです。

目の前の事実の解釈にさえ苦戦するのに、未来の解釈がうまくいく保証はどこにもないのです。

たしかに、ひとつの未来は、有益な情報になり得ることは事実です。

しかし、その解釈を誤ると、損失も大きくなりがちです。

ここまでの文章が、未来を予知した所で、その解釈は難しく、解釈をミスると弊害も大きいという話でした。

次に、未来予知はそれほど大したものではないという論述になります。

例えば、あなたの足元にアリがいたとして、そのアリはどこに向かうのかという事を考えてみたいと思います。

ここで、あなたは、未来予知を働かせ、10秒後のアリの位置が分かりました。そのアリは、自分より斜め右上に移動していたのです。

さて、一旦、話を整理しますと、この問題は、未来予知により何が分かるのかという問題です。

アリは確かに、A地点からB地点に移動しました。

しかし、どのように移動したのか、どういう経緯をたどってそこに至ったのかは、未来予知では、分からないのです。

もしかしたら、一直線でB地点に辿り着いたのかもしれないし、クルリと一回転し、B地点に辿り着いたのかもしれない。

ここで、経緯、過程というものは思った以上に、複雑で重要な要素を含んでいるというのが、私の個人的な考えです。

その経緯を抜かしてしまうことに、それほどの価値があるとは思えない。

しかし、未来予知も一定の重要な情報になり得ることも事実です。次にこの点の説明です。

例えば、上の例で言うと、更に右上にアリの巣があったとしましょう。

とするならば、未来予知により、「アリは、アリの巣に向かっている」という推測(ここでは、解釈というべきか)が成り立ちます。

ただし、このような小さな事実に対し、もう少し視点を移動してみることにしましょう。そうすれば、私の未来予知に対する考え方も少しは理解できるかもしれません。

視点は上に。更に上空に設定します。

上から見ると、アリは、アリの巣のすぐ近くにいます。そして、自分もアリの巣の近くにいます。

自分の小さな視点から見ると、アリはどこに行こうとしているのかはなかなか分からない。

なぜなら、自分はアリの巣のずっと遠くにいて、アリも巣の遠くに位置しているように見えるから。

だから、アリがどこに向かうのかを判断するために、ある程度の時間をかけた観察やその過程を省略する未来予知が必要になります。

しかし、上から見てみると、アリはアリの巣に向かっていることは明らかなのです。ずっと前からそうだったのです。

このようなこともあり、私は、未来予知よりも視点移動のほうが遥かに効果が高いもののように思えます。

未来予知が実現したとしても、大したことに使われないことは目に見えているし、人間がやることなので、本質的に今までと何ら変わらないでしょう。

しかし、すべての人間の視点が移動できるのなら、それは今までとは違う人間がやることなので、本質的に何かが変わってくるかもしれないと考えています。

さて、最後に重要なことをもう一つだけ。

未来予知した所で、さらに遠い未来は分からないということです。

未来を予知すると、どうしてもその結果を良いことに利用しようとしてしまいがちです。

ここで言う良いことというのは、勝利とか、栄光とか、利益とかそういったものです。

しかし、その一時の勝利は、もっと遠い未来においては、敗北につながっているかもしれません。

例えば、一人のスポーツ選手が居たとします。そして、彼は、現在チャンピオンです。

その選手は言います。「あの時の敗北がなかったら、今の自分はない」と。

上は単なる喩え話ですが、そういうこともあるのです。

未来というのは、どこまでいっても、分からないものです。

その点で言えば、私は、ビッグデータによる未来予知などにはあまり興味が無いのですよ。