phoenix-power知識と思考について考えてみました。

ゴハンとパンのどちらが良いか

前にゴハン(ご飯)かパンかどちらが良いかという問題に関して、ゴハン食のほうが良いと言ったことがありました。

今回は、ゴハン食を勧める理由と、その思考経路を紹介したいと思います。

ゴハンとパン、どちらが体への害が少ないかという問題は、非常に微妙な問題点を含みます。

なぜなら、そう単純には答えが出せない問題だからです。

単純に答えが出せない問題というのは、つまりケースバイケースということになります。

ケースバイケースというのは、環境や状況によって異なるということです。

しかし、ケースバイケースというだけでは、何も言っていないことと同じなので、私は、ゴハン食のほうがおすすめだと言っています。

このように考えるのは、日本人の一般的な食事をイメージした上での結論です。

日本人の一般的な食事風景というのは、ゴハン食とパン食では大きく異なります。

一般的には、日本人は、ゴハンを炊飯器でお米から作り、パンは作るのではなく、買ってきたものを食べるのが普通だと思います。

ちなみに、普通とか、一般的という言葉が気に入らない方もいるかもしれませんが、そこはあえて突っ込まないでいただきたいと思います。

なぜなら、そこを突っ込んでしまうと堂々巡りに陥ってしまうし、話が長くなり、更には結論が出ないという最悪の作文になってしまう可能性が高いからです。

なので、「自分の家は違うよ」とかいうのは置いておいていただければと思います。

私の印象で言うと、日本人は、パンを小麦粉から作る人は少ないと思っています。

さて、話を進めましょう。

なぜ私がゴハン食を進めるのかというのは、実は、この工程にあります。

私は、基本的に、既に出来上がっているものを食べるのは、体に害がある可能性が高いと考えています。

もちろん、例外はありますが、私の知識は非常に限られており、狭いのです。

したがって、よく分からない問題を解決しようとした時、上のような指標、判断基準が必要になってくることがあります。

ここでは、私は、よく分からない問題を考える上では、「原料が見えているものほど体に害を及ぼす可能性が少ない」などという指標を作ってから物事を考えていくことにしています。

いわゆる基本姿勢というやつです。

具体的にはこれが、ここでいう私の思考経路の説明になります。

さて、ゴハンはイチから作る人が多いわけですが、パンは元から出来上がったものを食べる人が多いです。

となると、ゴハンのほうが体にいいんじゃないかと考えるわけです。

しかし、私の基準によると、コンビニの弁当など出来上がったゴハンは、パンとそれほど変わらないことになります。

もちろん、人によって体に合う、合わないはあると思いますが、出来上がったゴハンと出来上がったパンは、体への害は、それほど変わらないように考えています。

思考する理由

ここで、話は変わりますが、思考する理由について書いていきたいと思います。

上でも述べたように、ゴハンとパン、どちらが良いかという問題は、正確な情報さえあれば、答えが出せる問題でもあります。

私は、ここに思考する理由が存在するのだと思います。

つまり、答えを知っていれば、正確な情報さえ持っていれば、思考する必要はないのかもしれません。

例えば、リンゴというものがあります。これは、果物で、リンゴの木からできます。

しかし、このことを知らない人にとっては、驚くべきことなのだと思います。

一般的には、1, 2歳の子が認識しているリンゴは、丸くて甘い味がする食べ物くらいの認識でしょう。

ここで、リンゴはリンゴの木から生成されているのだと知ったら、面白いだろうし、予想外のことなのではないでしょうか。

したがって、知っているのと知らないのとではそこに雲泥の差が生まれます。

このことから、知識というものは偉大なものといえるのではないでしょうか。

しかし、知らなくても、思考することにより、正しい答えにたどり着ける場面も少なくないと私は考えます。

知っている人からすれば、思考する人がやることは、でっち上げで、ハッタリ的なやり方に見えることもあるのですが、こういうやり方もあるのです。

ただし、思考するという行為は、答えを出すためだけに使うものではありません。何かを自分でイチから作るときには、この思考力が物を言うと私は思います。

なぜなら、自分でイチから何かを作るときというのは、その答えまでも自分で作る場合が少なくないからです。

創造性は非常に大切で、それを養うには、思考するのが一番だというのが私の個人的な考えです。

ここで、知識ばかりに傾倒し、思考することがなくなると、何かを作ったり、創造したりといったことが難しくなるんじゃないかなと思います。

したがって、知識は偉大なものですが、知らないということも意外に良いものだというのが私の意見です。