phoenix-powerテレビ番組の討論とか見ていても、問題の複雑さに影響されてか、導き出す答えまでもそれに侵食されているような気がするので、それは良くないなと思った時の話です。

この前は、珍しく、政治や経済、その他の社会情勢について話し合っているテレビ番組を見ていました。

そこでは、様々な問題や利害関係などが伝えられ、どうすればいいのかという答えを各々が発言します。

しかし、個人的には、その答えと答えを導き出すまでの過程が気に入らなかったので、この記事を書くことにします。(おいっ

確かに、世の中の仕組みは、複雑です。様々な問題や利害関係が相互に影響を及ぼし、因果関係をつないでいるからです。

世の中は単純だという人がいれば、それは正確ではないと私は思います。

しかし、ある意味、この考えは重要です。

なぜなら、何かの問題に答えを出す時は、基本、難しく考えてはならないと思うからです。これがわたしの考えでもあります。

つまり、まとめると、「世の中は複雑だけど、シンプルに考えなければならない」ということでしょうか。少し違うのですが、まあ、分かりやすく表現しようとするなら、こんな感じです。

例えば、政治に関する問題で答えをだす場合は、こうなります。

「より多くの人々が幸せになるのは、どちらか?」

ここで、政治と金の問題について考えてみますと、「お金を受け取るのは良くない。なぜなら、それはより多くの人々の幸せには寄与しないから」となります。

ここで、「いや、お金の使い道が重要になるのではないか」とか、「立派な政治家が政治家であるためには必要なことだ」とかそう言った複雑なことを考えてしまうと、それはシンプルではありません。複雑な世の中の仕組みが、導き出す答えにまで影響しています。

したがって、私の場合ですが、ある程度の仕組みやルール的なものは読み取りはするものの、結論を考えるときは、常に基本からシンプルに考えることがよくあります。

更に、結論を出す際に、何かの迷いが生じた場合、それは間違いとします。

なぜなら、導き出した結論はさほど重要ではなく、それが間違っていようが、正しかろうがどうでもいいからです。

重要なのは、どのように導き出した答えなのか、それだけです。

ここで、上記のような考えを前提にすると、迷いが生じている事自体が、間違いだと言えます。

したがって、迷いが生じていて導き出した答えが、たまたま正解することがあったとしても、それは、私にとっては間違いでしかなく、大して意味があるものではないのですね。

それは、失敗であり、ミスであり、間違いでしか無い。

よって、何らかの問題について答えを出す時というのは、迷いなく、シンプルに考えて出した答えが正解となります。

その意味で、世の中は単純という考えは、ある意味、重要です。

これは、「世の中は複雑だが、単純に考えろ」ということを含むと考えられるからですね。

ただし、私が言うとしたら、「世の中は複雑で、その複雑なルールを理解することは重要だ。しかし、答えをだす時には、迷うことなく、単純に考えろ」という感じになると思います。

では。

あ、多少の説明を忘れていましたが、相手を説得する時、というか、他人とおしゃべりする時は、正論ばかり吐くのではなく、自らが理解している事柄を関連づけながら話すほうが良いように思われます。では…。