phoenix-power今回は、少しだけ「運」という要素について書いていこうかなと思っています。

皆さん、運が悪い方ですか、良い方ですか。

実は、これらを捉え方の問題と考える人もいるみたいですか、私はそうは考えません。

私は、運が悪い人、良い人は確実にいるだろうと考えています。

例えば、「らき☆すた」というアニメには、つかさというキャラが出てくるわけですが、このキャラは運の悪いキャラとして描かれています。「つかさって、ほんと運悪いよねー」みたいな。

では、運っていうのは、一体なんなのでしょう。

私は、これを、コントロール不可能なものと定義しています。

例えば、サイコロを振って、その結果が個人的な災いや幸福に結びついているならば、それは運といえるでしょう。

しかし、反対に、「困ったときに人に助けられた」とかそういったものは、ここで言う運に含まれません。

これは、私が認識する因果応報という言葉で多くを説明できるものだと考えます。

そして、因果応報というのは、世の中に存在する無数の因果関係は、とても人間の力では制御できず、したがって、悪いことはすべきでない、という感じの意味で捉えています。

これは、ほんとうの意味での運というものではありません。

したがって、世の中にある運気をアップさせる方法とか、幸運を手に入れるおまじないなどというものは、私はあまり信じていないのですね。

もう少しだけはっきりというと、これらの方法で運が良くなるようなら、それは運というものではないというように考えているのです。

なぜなら、運という要素、というか運という言葉は、本来、何をやったとしてもコントロール不可能なものとして定義されるからです。

では、もう一度聞いておこうかな。

あなたは、運が良い方ですか。悪い方ですか。

私は、運が悪い方です。

多分、ご存じなかった方が多いと思うのですが、実は、そうなのですね。というか、私は自分は運が悪い人間だと自覚してるというか、そんな感じに思っています。しかし、これは割と控えめな表現であり、もっと言えば、はっきりと自覚できるほど超絶に悪いというところが本当のところなのかもしれないなと思っていたりします。

しかし、自分が運悪いっていうのは、あまり、言ったことがありませんでしたね。

世間的な人というのは、「運が悪いというのは、言い訳」、「運は悪い時もあり、良い時もあって、長い人生において平等になるはず」とか、「運気を上げるには精神的な強さが必要」とか、「日頃の行いが悪いからバチが当たった」などという考え方を持たれている方が多いので、言わないほうが良いわけですね。

ここで、運が悪いかどうかというのを私が自覚したのは、だいぶ前になりますが、その時のことをお話しておこうかなと思っています。

通常、運というのは、悪い時もあり、良い時もあるのが普通です。

だからこそ、多くに、人というのは、自分の運が悪いか否かなんてのは意識したことも少ないかと思いますが、実は、運の悪い人というのは、図らずしも意識してしまうものだったりします。今回は、これについての説明です。

私の場合は、きっかけは信号でした。道路にある、あの信号です。

私は、昔からランニングを日課にしていて、これは、年中無休というか、私には、休みなく行っている決まり事みたいなものがあるのですね。いくつか。

そして、そのうちの一つがランニングなわけですが、例えば、いつも通るたくさんの信号がいつも赤色だった場合、どう思いますか。これが、3日間とか、1週間ならまだしも、1ヶ月、1年間ずっと、赤色だったらどう思うんでしょう。

多分、普通の人は、おかしいなと思われるのではないでしょうか。私もそうです。

そして、おかしいことは、調べてみる。

信号におかしなところはないだろうか。時間は。この信号を青で通れる確率はどれくらいだろう、若しくは、赤で止まる確率はどれくらいだろうか。信号全てが赤になる確率はどれくらいだろうか。それが、1年ずっと続く確率はどれくらいだろうか。

そして、結果が出る。

結果が出た後は、もちろん、びっくりするわけですね。

そんなバカな。そんなはずない。ありえない。なんでこんなことになるの。

次に、数々の疑問が浮かび上がります。

もしかして、誰かが自分が通る時だけ、信号を操作しているのか。計算が間違っているのか。にしても、おかしい。おかしすぎる、と。で、コースとか色々変えてみるのだけど、結果は変わらず。

この現象は、一体何なんだと。

ちなみに、私が走る時間というのは割とバラバラ。そこに規則性はなく、あったとしてもとてつもない正確性を発揮することなど不可能でしょう。したがって、これらは、ランダム値なので、無視できます。

最終的に、思い知るわけです。運が悪い人って、数えるんだなと。そして、自分って、運、悪かったんだなと。

まあ、他のエピソードについては語りませんけど、運が良い人、悪い人というのは、確実に存在すると思っていて、私はどちらかと言うと、運が悪い方に分類されるだろうと推測しています。

もちろん、運が悪いというのは、何の言い訳のにもなりませんし、何の意味もありません。私が認識していることは、自分が運が悪いという事実と、それに基づいたいくつかの考えに過ぎません。

それに、運が悪いっていうのも、別にそれほど悪いことじゃあないと思っています。

なぜなら、運が悪い人の気持ちが理解できるから。運が良い人とか、普通の人には、これは結構難しいことだと思うので、これを理解できる点では、良いことかもなと思っている自分がいたりします。

また、私は、運が悪い方だと自分では思っているわけですが、運気をあげようと思ったことは今まで一度もありません。多分ですが。

これは、何故なのかと問われると、よく分かりませんが、それで良くなるとは思えませんし、これは、変えようのない何かだという気がするからなのでしょう。

良くなるとは思えないというのは、人間にとって良いことが、他の生物や星、宇宙にとって良いものとは限らないというのが、主な理由です。

この辺り、今回のお話では、それほど本質的な部分ではないので、簡潔に説明しますが、例えば、食べ物に苦しんている人に、魚を殺して、分けてあげたとします。すると、人は言うわけですよ。良いことをしたあなたの運は、きっと良くなりますよ、と。しかし、これって、人にとっては良いことですが、魚にとっては、悪いことですよね。

これを悪いことと思えないというのは、少しばかり人間中心に物事を考えすぎているような気がします。

反対に、宇宙人が、困っている宇宙人に人間を殺し、食べさせてあげたとします。するとどうでしょう。ここで人が言うことは、「とんでもない悪魔の所業だ。いつか地獄に落ちるだろう」という感じのことを言います。もちろん、これはあくまでニュアンスに過ぎませんが、多くの人間というのは、通常、自分の立場にとって有利なことしか言わないわけですね。また、豚とか牛とかもミンチにされたりしているわけですが、あれが人間だったら、…そう、良いことではないですよね。

もちろん、人を助ければ、因果応報によって人に救われることはあるかもしれません。しかし、これは、私が考える運というものとはちょっと違うわけです。

ちょっと長くなってしまいましたが、話を戻しましょう。

つまり、人間にとって良いことをしたからといって、それが他の生物や星などにとって良くないことはいくらでもあるので、そのことにより運が良くなるかというと、微妙だと思う、というお話でした。

私は、良いことをしても、悪いことをしても、運というものは対して変わらないと考えています。いや、運気アップのお話は、単に、人によって都合よく作られた迷信のような感じのものなのでしょう。

したがって、迷信を信じるも信じないも自由ですが、上手くいった人は賞賛し、上手く行かなかった人は否定するという感じの傾向になるのではないかと思います。

さて、しかし、私も迷信を全く信じない人間かというと、そうでもなくて、例えば、また信号の話になるわけですが、私は、信号くらい変えようと思えばいつでも変えられると思っている痛い人間なわけだったりするわけです。

というか、信号って、変われと思ったら、よく変わるなーなどとそんな感じで思っている人も相当数いるような気もしているわけですが、私もそっち系の人で、何か思ったとおりになるなーと、偶然の力を、あたかも自分の力であるかのように感じてしまっている人なのです。

先ほど、信号はいつも赤と言いましたが、私はデフォルトでは確かに超絶に、世界の真理をぶち壊してくれるような確率で運が悪いわけではありますが、願った時は割と思い通りになるような気がするというか、そんな感じになることが多いように思っています。

ただ、通常は、何かを願ったりはしないので、あれではありますが。まあ、楽しければいいって話です。どうでもいい話でしたね。

さて、話も残す所、あと二つです。

一気に書きますと、一つは、運の悪い人をそれほど厳しく考えてはいけないよ、ということです。

いや、これは自分の話とかではなく、私よりも不幸な人って、多分、世界中で山ほど居るわけです。いや、むしろ私はその中でも幸運な方で、運が悪いなどというのは、客観的に言うと、かなり間違った言い方をしているなと自分でもそう思います。

したがって、今まで一切、選択の余地を与えられることなく死んでいった人達に対し、「あなたは、日頃の行いが悪かったから、そんなことになるんだ」とか、「運が悪いなんて、ダメな人間だ」などの感情を基準に考えるのは、あまり良くないのではないかと私は考えています。

これらは、日頃から運気を上げることに熱心な人とか、普通の人とか、運が良い人とかが陥ってしまいがちな考え方だと思います。

なので、運が悪いことはダメなこととか、運なんてものは関係ないとか、どうにかすれば何とかなったはずだとか、そういったことは、安易には考えないで欲しいなと考えています。

最後に、運気を必死にあげようとしている人に対して言いたいことなのですが、こういう人は、死んでほしいと思います。…えっ。

すいません。ちょっとギャグが入りましたが、言いたいことはそんな感じのことですので、詳しい解説をしていきたいと思います。

皆さん、死んだことはありますか。

ないですね。いや、あるって答える人もいるかもしれませんが、私は、ないです。

ただ、死んだらどうなるかっていうのは、割と考えたことがあるのです。

ここで、死んだ後の想像の一つに、もし、自分が死んだら、今まで必死に頑張ってきたこととか、悩み、苦しんできたこととかのことを思い返すと、あまりにちっぽけで、笑えてくる、…嘘ですが、バカバカしく感じるんだろうなというのがあります。

なんであんなことで、悩んでいたのかなとか。

死んだ後は、もっと広いところにいて、そこから考えた過去の自分っていうのは、多分、あまりに小さくて、そして、そのちっぽけな悩みなんてものは、更に小さくて。

ここで、例えば、成功するために、運気をあげようと必死に頑張ってる自分をみると、多くの人はどう思うんでしょうね。

多分、「おい、それ的がズレてるだろ」とか、「もっと他にやることあるだろ」とか、「なんであんなことしてたのかな」とかって思うんだろうなと私は想像しています。

なのでですね、こういう風に、一度死んでみてから考えるのも、面白いかもしれないよという話でした。…違う。

違いますね。運の話でした。

運、大事。しかし、あまりに固く厳しい考え方をしてもアレだと思います、他人に対して。では。